行徳キリスト教会 Gyoutoku Christ Church

教会の歴史

「日本同盟基督教団の歴史は、15名の宣教師が横浜に上陸した1891年11月22日に始まる。彼らを派遣したのは、フレデリック・フランソンが設 立した北米スカンヂナビアン・アライアンス・ミッションであった。宣教師と牧師、信徒の協力によって生み出された諸教会は、1922年10月に日本同盟基督協会を組織し、宣教に情熱を注いだ。戦時体制下、宗教団体法施行にともない1941年に日本基督教団第八部に所属したが、戦後同教団を離脱し1948年10月に日本同盟基督教団として新たに出発し今日に至っている。本教団の存立の目的は「聖書信仰、宣教協力、合議制」における一致のもと、 聖霊の力によりキリストの宣教命令に応えて、神の栄光を現すことにある。この目的のために、本教団は、犠牲を惜しまず、積極的な開拓伝道と堅実な教会 形成による国内宣教および「日本とアジアと世界」を視野に入れた国外宣教を推進して、地の果てまで福音を宣べ伝える。また、過去の戦争協力と偶像礼拝 の罪を悔い改め、世の終わりまでキリストへの信仰を堅持する。」(教憲の前文より抜粋)

行徳キリスト教会はスイス・アライアンス・ミッション(SAM)の開拓教会として1989年の4月に開始されました。場所は千葉県の市川市の海岸側にある町で、江戸時代には塩田として栄え、「行徳千軒寺百軒」と呼ばれる程お寺が多い町でもあります。高度経済成長期に伴い海面の埋め立て事業や地下鉄などの開発がすすみ、現在では都心へのアクセスが良い場所として千葉県の中で最も人口密度が高い地域の一つです。実は同盟教団の宣教が開始されてすぐの1894年にはこの行徳という地に宣教の種が蒔かれていたということを最近になって知りました。開拓当初までの約100年もの間、教会が生み出されるために祈り続けられてきた土地なのです。これらの歴史を顧みる時、この地に教会があるのは決して偶然ではなく、この地に種が蒔かれ実を結ぶために、国内外の兄弟姉妹たちの多くの祈りと犠牲、そして尊いささげものによって私達の教会の働きがあることに胸が熱くされます。それらの祈りの火を絶やすことなく、この地域の人々に届いていける教会へと成長していきたいと奮闘しています。

この地域に仕えるために何ができるのか? そんな問いを教会全体で取り組みつつ、それぞれが神様から与えられている賜物によって、自助グループ、英語教室、カフェ、ゴスペル、幼児サークルなど、外に心を向けて福音宣教に励んでいます。教会が敷居の高い場所ではなく、気軽に来ることができる場所として、この地域のオアシスになりたいと願っています。そして、このオアシスによって多くの救われるたましいが起こされるように祈り続けていきたいと思います。

「まことに主はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。そこには楽しみと喜び、感謝と歌声とがある。」(イザヤ51章3節)。