2024年の年間テーマ
「いのちの水である主との交わりを楽しみ、礼拝を充実させる年」
年間聖句 詩篇36篇9節
「いのちの泉はあなたとともにありあなたの光のうちに私たちは光を見るからです。」
牧会の方針
十カ年計画の第五年目に入りました。この年の大きなテーマは礼拝です。いま一度、私たちのささげる礼拝の基本を見直し、いのちの水であられる主との関係がより豊かなものへと変えられていくために、私たちの礼拝の在り方を問い直し、主との交わりを楽しみ、また恵みに溢れる礼拝に向けて思いと心を使う一年としていきたいと思います。
植物が水を注がれ豊かな成長をなしていくように、私たちの力も主の恵みが注がれることによって成長させられます。そのいのちの水が注がれる第一の場所は何よりもまず礼拝ではないでしょうか。信仰者が何よりも主の恵みを受けることがなければ、そのたましいは飢え渇き、活力はなくなってしまいます。私たちが喜び、主に仕えていくためには、礼拝の中で神様の豊かな恵みにふれて成長していく時ではないでしょうか。そのいのちの根源である主との交わりをより豊かなものとしていくために、礼拝の改革を進めていく一年として、この年を用いていきたいと思います。具体的にはみことばの説教を通して以下の霊性を深める取り組みをしていきたいと思います。
① みことばに触れる生活
② 祈りの交わりの充実
③ 御霊の満たしへの渇望
④ 礼拝者としての教育
⑤ 喜んで感謝をささげる礼拝
⑥ 愛の実践と交わり
詩篇36篇9節には「いのちの泉はあなたとともにあり あなたの光のうちに 私たちは光を見るからです」とありますが、このいのちの泉が礼拝を豊かにする秘訣であります。このいのちの泉とは具体的に何かといいますと、それは私たちに与えられている御霊の満たしのことです。このいのちの泉からでる水によって、人は永遠のいのちの祝福に預かります。永遠のいのちとは、すなわち御父また御子イエス・キリストとの交わりであり、御父と御子であられるイエス・キリストを知ることです。この「知る」ということは単なる知識としての「知る」ではなく、御父と御子の愛を体験することを意味しています。そして、この御父と御子を知るものとなるために御霊はおられます。それでイエス様はこの御霊のことをヨハネ4章14節で「永遠のいのちへの水」と言われているのです。それはつまり、御霊なる方がこの永遠のいのちに至らせるお方であることを教えています。
では、どのようにしてこの永遠のいのちに至らせる水は私たちの内から沸き起こるのでしょうか?箴言を開きますと、このいのちの泉に関する記述があります。箴言4章23節ですが、そこにはこのように書かれています。
「何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。」
いのちの泉があふれるために、聖書はあなたの心を守るようにと教えています。そして、この心の状態によっていのちの泉が変化することを教えています。新約聖書を見ますと、パウロはこのことについてローマ12章1〜2節でこのように言及しています。
「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」
ここでパウロは真の礼拝者となるために、この世と調子をあわせる生き方ではなく、心を新たにすることで自分を変えていただくようにと教えています。これは先ほどの箴言4章に書かれていた、あなたの心を見守ることと通じることがあります。神様の豊かさを体験するのは、形式的な礼拝や行いではなく、私たちの神様に対する心から始まるのです。
聖書が言う「心」とは日本語が意味するところの感情的な思いのことではありません。聖書がいうところの心とは、より思考的な神様に対する理解を指しています。つまり神様に対する熱心さや、感情的な思いではなく、神様に対する正しい考えや理解のことを言っています。そのように考えると、パウロがこのローマ12章で言わんとしていることの意味が良くわかります。それはつまり、この世の基準や自分の肉的な考えで神様を捉えるのではなく、御霊の支配によって与えられる神様の正しい理解に至るとき、私たちはいのちの泉にあふれる者へと変えられるのです。そのために、私たちをとりなしてくださる聖霊様の働きに期待し、みことばや祈りを通して私たちが正しく神様と向き合うことが求められているのです。
この一年、私たちの内にこのいのちの泉が豊かにあふれる恵み豊かな年を共に体験していきましょう。そして、この光を通して私たちはさらなる光を見させていただき、永遠のいのちである主との交わりを楽しみ、主を愛する礼拝者として成長させられていきたいと思います。