行徳キリスト教会 Gyoutoku Christ Church

あなたを満たす方に結ばれる

救いにおいて、召しという概念はとても大切です。なぜなら、神に召されていなければ、私たちは悔い改めたり、神のことばを信じたりする事ができないからです。ヨハネ15章4節でイエス様は「枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。」と言われました。信仰の強さというのは人間の意志の強さではなく、どれだけまことのぶどうの木であるキリストと結ばれているかに比例します。枝だけでは実を結ぶどころか、何一つ神の義にかなうことはできないのです。そのように考えると、神を信じようと思えることすら神の恵みによるのであって、そこに神の召しがあると言わなければなりません。自分が何一つ持っていないと分かる人は、必要を持っている人に助けを求めます。同様に、私たちが霊的な意味で何一つできないと分かるならば、その人はその霊的な必要を満たしてくださる方のもとに向かうでしょう。しかし、その霊的に何一つできないという事を理解させてくださるのも御霊の働きによるものです。このように救いというのは人間の行いによるものではなく、神の恵みなのです。