教会ということばはギリシャ語でエクレシアということばが使われていますが、そのことばは議会を招集する議会用語でした。私たちは教会ということばを聞くと、ステンドグラスや十字架がある建物のことを想像してしまいますが、教会というのは建物や組織のことではなく、キリストによって召され、キリストのいのちを与えられた者たちが一つ集められることを教会と呼ぶようになったのです。ですから、教会とはそのキリストにある新しいいのちを育み互いに共有する共同体と言えます。教会に塩気を与えているのは、人間が作った組織でもなく、ルールでもなく、また教会の建物でもありません。集められた人々の内にキリストのいのちがあり、そのいのちを様々なかたちで互いに共有しあう時にこそ、教会は塩気を保つのです。教会がこの塩気を失う時、教会は廃れていきます。素晴らしい建物があっても、緻密に整えられた組織であっても、そこにキリストのいのちが存在し共有する事ができていないならば、もはや誰にも必要とされない存在になります。しかし、もしそこにキリストのいのちを持つ人々が互いにそのいのちを尊び共有しあうならば、たとえ小さな群れであっても塩気を保つのです。
キリストのいのちを共有する教会
- 救いを与える聖霊
- Gospel time Aut-vol.4