行徳キリスト教会 Gyoutoku Christ Church

キリストに結び合わされる教会

教会がキリストのからだと呼ばれるのは、いっさいのものをいっさいのものによって満たすキリストが教会の内に満ちておられるからです。教会とはキリストのいのちを共有する者の集まりであるのと同時に、そのいのちを共有するだけでなく、キリストの御心をこの地上にあらわしていく共同体でもあります。神は、教会を通して今日もこの世に働きかけておられるのです。それゆえに、教会がキリストのからだとして機能し、またキリストの御心をこの地上にもたらすために、頭であるキリストに教会がしっかりと結び合わされて、御霊による新生と満たしによってキリストの御心に従う者へと変えられなければなりません。そして、キリストに結び合わされた信仰者は、自分自身がキリストの一つの器官であり、自分の存在が自分のためだけではなく、他者のために存在しているという事を強く認識する必要があります。一人は全てのために、全ては一人のためにという利他主義的な関係が教会に求められているのです。偏った個人主義が台頭する中において、私たちはもう一度、神が望まれている本当の教会の在り方を、うわべだけでなく真剣に求める時代に生きているのではないでしょうか。