主よ来たりませと、教会は2000年以上、キリストの再臨を持ち続けてきました。それは、この復活されたキリストが再びこの地上に来られるという再臨信仰こそが、教会に信仰と希望を与え続けてきたからではないでしょうか。キリストが再びこられる「主の日」はノアの日のように突如とやってくると聖書は警告をしています。ですから、霊的に目を覚まして終わりの日に備えているようにと言っているのです。日本語では「備えあれば憂いなし」ということわざがありますが、何かが起こってから備えるのではなく、普段日ごろから何かと準備する意識を持つと、人の行動も変わってくるものです。信仰も同じように、やがて訪れる死や復活の日に目を向け続けるならば、今をどのように生きるべきなのかを真剣に考え、しっかりと信念をもって自分の人生を歩もうとするでしょう。ゴールを見据えている人は、その場しのぎの流される生き方ではなく、本当に大切なものが何かを理解している人です。聖書は人生において本当に大切なものを教えてくれる知恵の書です。そして、その大切なものを守るための信仰と希望を与え、やがて来るべき終わりの日に備えさせてくれる神のことばなのです。
来るべき終わりの日に備えて
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