行徳キリスト教会 Gyoutoku Christ Church

聖餐の恵みに生かされる

キリストは十字架にかかられる前夜に弟子達と食事を共にし、パンとブドウ酒を弟子達に与え、「私を覚えてこれを行いなさい」と聖餐を制定されました。私達はキリストの弟子達のようにキリストが十字架にかかられたその場所や時代に居合わせたわけではありません。しかし、信仰をもってこの聖餐を受け取る時に、キリストの十字架の贖いが確かに私の罪のためであった事を深くおぼえる事ができます。それはもはや2000年前におきた出来事でありながらも、ここで起きた出来事かのように、キリストの苦しみを御霊によって自覚するのです。聖餐を通してキリストの死を覚え続ける時、その十字架の贖いは決して風化する事なく、その信仰者の内に常に新鮮な体験として臨みます。そしてその恵みによって私達をあらゆる罪の咎や弱さから解放していくのです。この十字架の恵みに触れる時、私達は不完全である事を自覚しながらも、キリストへの献身を新たにして神の恵みの契約に生きる者へと変えられたいと願うようになるのです。