行徳キリスト教会 Gyoutoku Christ Church

土の器の中にある宝

聖餐において大切な事はパンとブドウ液を受けるものがキリストとひとつである事を覚える事にあります。キリストとひとつであるという事は、ニューエージ信仰のように私達が神となる事ではありません。キリストとひとつであるという事は私達が土の器であり、その器の中にキリストのいのちを宿している事を受け入れ信じるという事ではないかと思います。それはまさに、聖餐を受け取る時に私達がイメージする事です。キリストの象徴であるパンとブドウ液を食する時、私という器の中に主が共におられる事を信仰によって受け取っているのです。この事を真剣に考えれば考えるほど非常に畏れ多い事なのですが、聖餐が行いによる契約ではなく、恵みの契約である事を理解する時に、私達はこの聖書が教える救いの意味を信仰によってとらえる事ができるのです。ただ恵みのゆえに罪深い私の内にも、主が共にいて下さるという神の恵みを理解する時、古きを捨てさり、新しいいのちであるキリストと共に生きる事を望むようになるのです。