行徳キリスト教会 Gyoutoku Christ Church

誠実な方に目を向けて

律法によってでは人は神の基準に達する事ができず神の義を得る事はできません。律法は私達に罪を教え、私達が神の基準に歩む事ができないという事を悟らせるのです。この自分の弱さに目を向ける事ができる人は、自分の力で義を得る事をやめ、神が備えている恵みの道に進む準備が整えられた人です。自力で義を得る事ができないならば、神のあわれみによる救い以外に残されている道はありません。十字架を見上げるという事は、私達の誠実さを見るのではありません。十字架を見上げる時、私達は神に対する自分の不誠実さを見ます。しかし、十字架は私達に自分の罪深さだけを教えているのではありません。その不誠実な私達に対して、神は誠実に応え続けて下さっている方であるのを見るのです。不誠実な私達に対して、ご自身のいのちまでも犠牲にし、約束を果たし続けて下さるお方を仰ぐ時、私達は失敗をしながらも、このお方に従っていきたいと願うようになります。この神の誠実な愛への応答こそが信仰告白なのです。