行徳キリスト教会 Gyoutoku Christ Church

神のあわれみを知る人

神が喜ばれる礼拝とは、強いられてささげる礼拝ではなく、神のあわれみに応答し自らが進んで喜びを持ってささげる礼拝です。神はそのような義務からではなく、神の恵みやあわれみに応答してささげる礼拝を求めておられるのです。このような人間の内に湧きおこる神への感謝や喜びは、神のあわれみを体験する必要があります。他人から良い事をしてもらうと、私達は嬉しくなります。それが自分にとって大きな事であれば、お返しをしてでも感謝をあらわしたいと思うでしょう。このように、神からのあわれみを受けた人というのは、神をあがめる者へと変えられていきます。イエス様は多くのあわれみを受けたと思う人は多くを愛し、少しのあわれみしか受けていないと思うものは少ししか愛さないと言われました。ですから、日々の生活の中で神のあわれみを体験する人は幸いです。その量る事ができない神のあわれみの大きさを知る時、私達は言い尽くせない神への感謝と喜びをもって神を礼拝する者となるからです。