行徳キリスト教会 Gyoutoku Christ Church

無駄にはならない犠牲

多くの人は犠牲を払うという事を敬遠しがちです。確かに自分にとって益とならない事をしたところで何の意味があるのだろうかと思うのは当然の事です。しかし、無駄にはならない犠牲、または多くの益となる犠牲がある事を聖書は教えています。それは、キリストの為にささげる犠牲です。神様は神の働きのためになされた一つ一つの犠牲を覚えておられる方です。そして、その犠牲をもって労苦をなした者にこそ、神が収穫の分け前を最初に与える事を聖書は約束しています。誰も見ていない中でなされた神への奉仕、涙を流して祈ったあなたの祈りを、主は覚えておられるのです。神の御前で覚えられていない神への犠牲はありません。逆に、神様はその捧げられた犠牲に報いを与えて下さると約束されているのです。だからこそ、私達は躊躇する事無く、強いられてでもなく、喜んで主の御前に犠牲をささげていく者でありたいと願います。そして、その犠牲を通して神様が多くの実りと祝福を与えて下さる事に期待していきましょう。