行徳キリスト教会 Gyoutoku Christ Church

全ての人に与えられる希望

聖書が語る希望というのは、私達の能力や力により頼む事によって見出すことができるものではなく、神の真実な約束により頼む事によって見出す事ができる希望です。私達は自分の現実を見る時に、なかなか希望を見出す事ができないかもしれません。能力もなく、お金もなく、体力や健康もない私がどうして希望を見る事ができるのかと。確かに、明日を生きるために、実際の生活の必要に希望をもつ事は大切かもしれません。しかし、聖書は生活の向上といった、生きるために必要が満たされる以上の希望について語っています。その希望がはっきりと見える時、その人の魂には力が湧いてきます。たとえ、現状が厳しい状況であっても、その希望はその人を闇から救う事ができます。聖書が語る永遠の希望というのは、この世の状況に左右される事がない希望だからです。この世の希望は、その人の能力に依存するところが大きいものです。しかし、聖書が語る希望は、失敗や挫折の中で、神を求めるすべての人に備えられる希望なのです。