聖書は誤りなき神のことばであると私たちは信じています。確かに聖書は人間によって記録された書物です。しかし、聖書が他の書物とは別格であるのは、神ご自身が選ばれた預言者や使徒、またその従者達に、神の霊感(息吹)を与え、語られたことばだからです。それ故に、聖書は神のことばと呼ばれるのです。つまり、聖書66巻が神のことばである根拠は、神の霊感によって語られ、記録されたということにつきます。神について書かれた書物は幾万とありますが、神ご自身がその霊感によって語っている書物はすべての書物の中でこの聖書のみです。それゆえに、聖書は他の書物と次元が違う書物なのです。この霊感されたという言葉は、神の息吹によるという意味があります。アダムが生きるものとなったときに、神がその鼻に息を吹き込まれた言葉と同じ意味を持ったことばです。神のことばはそれゆえに力があります。このことばに耳を傾け、そのことばを心に留めるとき、その者は神のことばによって生きるものとされるからです。
神のことばである聖書
- ドッヂボール対決!
- 人生の基盤となる聖書