神の偉大さに目を向けるとき、自分という存在がいかにちっぽけな存在なのかを知ります。飛行機からこの地上を見るとき、今まで大きいと思っていた建物がおもちゃのように小さく見え、人はありの様に小さく見えます。さらにもっと高くあがって、宇宙から自分を見るならば、自分という存在はちりのような存在になるでしょう。神は果てしなく続くような宇宙をもお造りになられた方です。驚くべきことは、そのような偉大な存在である方が、ちりのような存在である私たち一人ひとりに目を留めてくださっているという事実です。ダビデは「人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは」とその神秘に目を向けています。神を知るとき、自分の弱さや、愚かさ、また不完全さを知ります。しかし、同時にそのような弱くもろい存在に神が関心をもたれ、深いあわれみと愛をもって、私たちに近づいてくださるという事を知るのです。そのような恵みに触れられる時、神の偉大さを褒めたたえずにはいられないでしょう。
神の偉大さを知る
- 神を知るということ
- 行徳教会に行ったのはいつかい?