行徳キリスト教会 Gyoutoku Christ Church

神を知るということ

神を知るということは、神を恐れるということです。有限であり、不完全な人間が神を完全に理解し、とらえる事ができるということ自体が無謀な考えです。私たちが神について理解できる事は一部分であり、その啓示され知ることが許されている範囲の中でも、完全に神を理解する事ができないという前提で、神を追及し求めるべきなのです。しかし、私たちが知りうる事が一部分だけであっても、その神というお方がどのような方であるのかを正しく理解する時、驚きと恐れを抱かざるを得ません。このように、限られた条件の中でも、神を知るという行為が人間に許されている事に感謝をする必要があるでしょう。この神というお方を理解する時、私たちの考えは大きく変えられていきます。それは、神というお方を理解するならば、そのお方が造られた世界や、私たち自身がどのような存在であり、また神がどのように私たちに生きる事を望んでいるかを知ることになるからです。神を知るという事は、つまり生きるという事につながるのです。