19世紀以降時代は実存主義の時代に入り、人々の価値観や思想が大きく変化しました。それは、キリスト教会にも多大な影響を及ぼし、聖書を客観的に研究の対象として見るようになりました。聖書を追及すること自体は決して悪いことではありませんが、しかし、それによって、「誤りなき神のことば」である聖書の規範性や霊感の権威が、批評学の視点によって聖書の真正性が判断されるところに問題があります。それは現代人が考える基準であって、そもそも、神のことばである聖書が有限である人間の基準によってはかられ、認定される必要はないからです。もちろん、それは信仰や教理の側面だけでなく、地理的、歴史的、また科学的な事柄が聖書と矛盾することを意味していません。しかし、それらを証明するために聖書が書かれているのでもありません。聖書は人間が悔い改め救われるために、神が用意された恵みの手段なのです。それは、人間の理性によってではなく、御霊によって確証が与えられるものなのです。
聖書の霊感と権威
- 人生の基盤となる聖書
- 神を知るということ