行徳キリスト教会 Gyoutoku Christ Church

神の聖さに触れる時

「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない」と聖書は語っています。聖書が教える神とは、全てにおいて完全であり、神のうちに悪はなく、神はその公義を曲げる事はしません。神のこの聖さの属性ゆえに、神が定められる事は義であって、すべての事の基準になります。聖書はまさに、この神の義をあらわす書物であると言ってよいでしょう。人間がその神の基準に触れる時、自分の内に汚れを認識します。これを「罪」と呼びます。完全である神の義と照らし合わせると、自分の内がいかに神の義から程遠いものであるのかを知ります。聖書を読む時に、自らの汚れを意識するのはそのためです。そして、人間は自らの行いによっては神の義の基準を満たす事はできません。それゆえに、神は私達に信仰による義の道を備えられました。その道とは、神の完全な聖さを持っているイエス・キリストご自身が、私達のために身代わりとして十字架に架かられた事です。この御子を信じる者は、罪が赦され義と認められるのです。