行徳キリスト教会 Gyoutoku Christ Church

キリストの神性

451年のカルケドン公会議まで、キリストの神性は教会の中で様々と議論されました。キリストは神の被造物なのか?それとも神ご自身なのか?また、この両性はキリストの受肉の中でどのように交わるのか。このキリストの神性におけるキリスト論争は100年以上続きました。もし、仮にキリストが神性をもたないただの人間であるならば、キリストという存在は歴史上の人物の中で最も妄想癖の強かった人物と結論づける事ができるでしょう。キリストは自分自身を神と同質であると証言しているわけであり、ユダヤ人達がイエスを石打の刑にしようと試みたのも納得のいくことです。またキリストが神性をもたないただの人であるなら、キリスト教会は自分を神とした男を礼拝する忌むべき偶像崇拝の罪を犯し続けている事になるでしょう。しかし、キリストの神性を認めるならば話は別です。キリストは神であり、その神性が事実なら、聖書がキリストについて証言している事が全て合致します。キリストは神であるゆえに、人類の救済をする事ができるという救いの根拠も、キリストが生ける真の神であるゆえに可能なのです。あなたはこのキリストをどのようなお方だと告白しますか。