キリストを知るという事は、ただ知識としてイエス・キリストを理解するという事ではありません。キリストとの人格的な交わりを形成していく事がキリストを知るという事です。それは、私たちが家族や友人との関係を深めるように、実際に時間を共に過ごし、人生を共有することによって人格的な交わりは形成されていきます。神様というお方は目には見えませんが、神へ祈りをささげ、神のことばである聖書に聴き、また神にささげる豊かな礼拝を通して、私たちは神様との人格的な交わりを深めていくのです。クリスチャン用語で、この神との交わりを「神に触れられる」と表現する時があります。それは、日々の生活の中で、神様というお方が私たちの生活の中におられ、私たちの弱さや苦しみといった問題のただなかに確かに働いてくださっているという事を信仰によってとらえる事です。そのような神の品性に触れられる体験によって、私たちの信仰は深められ、人生の歩みが変えられていくのです。それゆえに、イエス様を知るという事は信仰者にとって大切な事です。それは、今尚、私たちの事を心配し、とりなし、また愛を注ぎ続けて下っているイエス・キリストをはっきりと捉える事だからです。
神に触れられる時
- サマーフェスタ、今年もあります!
- キリストのからだである教会