行徳キリスト教会 Gyoutoku Christ Church

キリストのからだである教会

教会はキリストのからだと呼ばれています。それは、教会が建物や人が作り上げた組織をあらわすことばではなく、神の使命によって召しだされた人々の集合体をあらわすことばだからです。人間のからだは多くの器官によって成り立っていますが、互いに調和を保ちいのちを支えています。人間のからだが調和を保ち機能するように、キリストのからだもその召し出された使命によって一つとされる時に、キリストのからだは神の栄光をあらわします。しかし、この集められた群れが、それぞれがばらばらで自己中心的ならば、正しく機能しないばかりか、世に対しても有害な存在となるでしょう。ですから、教会内で分裂や対立は本来のあるべき姿ではないのです。しかし、悲しい事に今日の教会の中にも争いや対立が生まれてしまう事があります。聖書はそのような教会に対して、「もし互いにかみ合ったり、食い合ったりしているなら、お互いの間で滅ぼされてしまいます。」と警告しています。むしろ、キリストにある自由を「肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。」と教えています。私たちはキリストのからだとしての使命を思い出し、互いに愛し仕え合う教会でありたと思います。