行徳キリスト教会 Gyoutoku Christ Church

神の選びによる救い

救いにおける神の選びは、人間の功績や努力を排除します。しかし、もし救いが神の選びによるのではなく、人間の自由意志における決断の結果であるならば、人はキリストによりたのむ事ではなく、自身の意思決定を重要視する事になるでしょう。そこには、少なからず救いの条件の中に人間の行いが含まれる事になります。しかし、神がその人を選び、その神の選びによって人が救われるならば、人間はたとえ自由意志を働かせて信仰の決断をしても、その意志決定は神の選びによるのであって、人間の行いではなく恵みによって救われるという聖書の教えに合致するものになります。救いの確かさは、神が私たちを選んでくださったからこそ確かなものとなります。救われる過程の中で人間の行いが必要ならば救いの確かさは危ういものになるでしょう。その救いの選びがどのような基準でなされるのか、聖書は明確にはのべていません。しかし、それは私たちの行いに基づく選びではなく、神の側の一方的、かつ無条件の選びに基づくものです。この無条件の神の選びを受け入れる時、神の愛をより鮮明に理解します。私たちが神を選んだのではなく、神が最初に私たちを選び近づいてくださったのです。