行徳キリスト教会 Gyoutoku Christ Church

試練の中で練られる信仰

信仰の告白は、私たちが何者であるのかというアイデンティティーと直結しています。自分は何者なのかという事は、自分が何を信じているのかが現実となるのです。弟子たちは、群衆たちのようにイエスをただの人とはとらえてはいませんでした。聖書が預言していたメシヤであると信じたのです。その自覚に導かれた時に、主はあえて弟子たちに次に起こることを明確に示されました。それは、メシヤである方が十字架という苦しみを背負うという事実です。人は自分の願わない現実を突きつけられると信仰が揺れます。サタンはその信仰を崩すために、攻撃をしかけてきます。そして、あらゆる手段によって私達の内に与えられた信仰を撤回させようとするのです。そのような時にこそ、私たちは神のことばを信頼し、その約束に立ち続ける必要があります。たとえ、目の前の状況が自分の願わない方向に進んでいたとしても、神の約束は必ず成就されると信じ続ける事です。そうすれば、私たちは様々な試練のただ中において、自分自身を見失うことなく、神が与える希望の力によって試練に立ち向かえるのです。