行徳キリスト教会 Gyoutoku Christ Church

和解の福音を受け取る者へ

神様が教会にもっとも願っている事は互いに愛し合う事です。そして、キリストにあって一つとされる事です。強い者は弱い者を支え、弱い者は強い者を敬う事によって調和がはかられます。キリストは争いをやめさせるために十字架で死んでくださいました。十字架のキリストを見上げる時、そこには私達の全ての罪を背負ってくださったキリストの姿があります。十字架に向かう者は、必然的に和解の福音を受け取るのです。教会で行われる聖餐式というのは、私達がキリストの内に一つとされている事を思い起こさせてくれます。一つのパンから、また一つの杯から永遠のいのちを受ける者として、憎しみのあるところに愛を、争いのあるところに和解を、そして分裂のあるところに一致をもたらしていく者へと変えられていきます。そうなるために、私達はますますキリストを見上げなければなりません。キリストが歩まれた道を私達もたどり、主の御旨を私達の心としていかなければなりません。聖餐というのは、神との和解を受け取り、神の国の平和を望むことです。それは、聖餐のパンやぶどう液に力があるのではなく、そのパンとぶどう液を受け取る信仰が、その人をキリストへと向かわせるのです。