行徳キリスト教会 Gyoutoku Christ Church

キリストの弟子として歩む

キリストの十字架と復活を受け入れ信じる人はすべてキリストの弟子です。しかし、キリストの弟子である事と、キリストの弟子として歩む事は同じではありません。なぜなら、弟子という身分をもちながらも、師に習って歩まない事があるからです。本当の弟子は、純粋にキリストのことばを聴き、そしてキリストに従う志しを持っている人の事です。それは、何か素晴らしい力があるから従えるのではなく、純粋にキリストを信頼し従う事なのです。弟子たちがキリストに従った時、彼らは自分達の仕事道具である網や船を置いてすぐに従いました。そのような向こう見ずな、計算しすぎない純粋さがあったからこそ、彼らはすぐに従う事ができたのだと思います。キリストの弟子として歩むためにはこのような純粋な信仰が求められます。あれこれと計算しすぎて従うと、その経験や知識が返って従うことを難しくさせる事があります。たとえ、それが自分の能力を超えている事であっても、「私についてきなさい」と主が言われるならば、「はい、従います」とあなたの名を呼び召してくださったお方を信頼して、私たちが握りしめている網や船を捨ててキリストに従っていく事が求められているのです。