自分は何者であるのかという問いは、人生の中においてとても重要な問いです。なぜなら、この世には多くの偽りが紛れ込んでいるからです。自分自身が何者であるのかを見失ってしまうと、人はその偽りが本当の姿だと錯覚し、健全な自我象を保つ事ができなくなるのです。そして、そのような嘘や偽りに翻弄されて不平不満に満ちた人生の歩みをしてしまうのです。イエス様は、私たちに、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてご自身について来なさいと言われました。それは、罪の中にある偽りの自分を捨てて、キリストの内にある本当の自分を見出すために、語られていることばであります。罪にある自我象は正しく神のかたちに造られた自分自身を見つめる事はできません。自分自身が何者であるのかを知るためには、その罪から解放されて、覆いがとれたキリストのいのちの中にこそ見出すことができるものなのです。神のかたちとして造られた自分と出会うためには、キリストの十字架と復活を信じる信仰の中にこそ本来のいのちがあり、本当の自分を見出す鍵があります。このキリストの内にこそ、あなたは自分自身がどれほど神にあって価値あり愛されているかを知る者となるのです。
キリストの内にある本当の自分
- ディアコニアを学ぶ一年へ
- キリストの弟子として歩む