信頼と従順というのは深い結びつきがある言葉だと思います。相手を信頼しているからこそ、私たちは自分自身を相手に委ね従う事ができます。しかし、信頼できない相手に対しては従順ではなく、逆に反抗をしたくなるものです。これは信仰の中でも同じ事が言えます。私たちが神のことばに聞き従っていくためには、神への全き信頼が必要なのです。とは言っても神様は真実なお方ですから、私たちが神のことばに従えないのは、神様の側の問題ではなく、私達が神のことばに対して信頼できていないという事が大きな原因でしょう。それは、アダムとエバが罪を犯して以来そうなのです。人間の罪が神への信頼を妨げている要因ですから、私たちが神への信頼を回復するために、十字架の和解が必要なのです。キリストの十字架は、私達の心の傷をいやし、神との和解を促します。その和解を経験すると、自然と私たちは神に反逆する者から、神のことばに従う者へと変えられていきます。それは、和解を通して、私達の内に聖霊が住まわれ、その深い交わりを通して、神が真実な方である事をあらわしてくださるからです。このように神への信頼が増し加わる時、あなたの神への従順も回復されるのです。
神への信頼が従順を生む
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