行徳キリスト教会 Gyoutoku Christ Church

11月11日(日)のメッセージ 「毒麦のたとえから学ぶ宣教」

聖書箇所:マタイ13章24節~30節
説教題:「毒麦のたとえから学ぶ宣教」

神様がおられるなら、なぜこの世から悪がなくならないのか?そのような疑問は誰しもが一度は思うことでしょう。もちろん、全知全能であられる方ならば、悪を一掃することは可能です。しかし、あえてそれをされないのはそれ相当の理由があるからです。神様がこの地上において、すぐに裁きを執行なさらないのは、それは神の側に立っている良い麦のためだと聖書は言っています。もし、神様のさばきが速やかに執行されたならば、それは良い麦にも影響を及ぼしてしまうからです。ですから、良い麦の収穫の時まで、悪い麦も一緒に残すという方法を神様はとられておられるのです。しかし、悪い麦がいつまでも放置されていることはありません。収穫の時期になると、最初に悪い麦が取り除かれ、それらは全てその行いに応じて裁かれます。そして、良い麦は集められて神の倉に納められるとあります。とすると、この世の中に多くの悪が存在するのも、私たちが豊かな実を結ぶために必要なものであることが分かります。神様の思いが、そのように良い麦に向かれている事を知るならば、私たちは様々な災いや苦しみを恐れる必要がなくなります。この地上においては、そのような苦しみや災いの中にある希望に目を向けていくことが大切です。なぜなら、その苦しみはいつまでも続くものではないからです。やがて、その苦しみから解放される時、多くの実を結ぶことを神様は願われているのです。

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