聖書箇所:マタイ1章17節~25節
説教題:「預言の成就としてのメシヤ」
預言の成就としてキリストはこの地にこられました。聖書の預言は神からのことばを預かった人々によってもたらされました。聖書はそれらの預言を記録した書といっても良いかもしれません。キリストの誕生は、この預言の成就であったと聖書は記しています。ヨセフはマリヤが身重になったことがわかったときに、御使いが夢にあらわれてこれが旧約聖書の預言の成就であると伝えられて、マリヤを妻として迎え入れるのです。ここにヨセフの信仰があります。夢によって語られた神のことばはヨセフのあらゆる疑念を吹き飛ばし、聖霊によって身ごもったマリヤを妻として迎え入れるにあたって十分な証拠となりました。神の御子の育ての父親となったヨセフですが、自分の立場や感情以上に神のことばに従順に従う信仰を備えていた人であったからこそ神に選ばれた人だったのではないでしょうか。キリストは預言者以上の存在です。それは、その預言のことばそのものだからです。その神の御子であられるキリストを育てる役割をヨセフは預言によって受け入れたとも言えるでしょう。主を待ち望むということは、このように、神のことばに対して従順である心のことです。自分の都合や、自分の考え以上に主のことばを重んじ、主のことばに従おうとする人々の心の中に、主の来臨を待ち望み、その来臨を受け入れる心を備えていくことになるのだと思うのです。