私達は自分の中に様々な価値基準をもっています。それ自体は悪い事ではないのですが、罪の性質のゆえに、その基準が他者と異なる時に敵意が生じてきます。そして、何とかして自分の正しさを証明しようと必死になるのです。しかし、このどちらかが勝ち、どちらかが負けるという原理の中では神の平和を実現する事は難しいでしょう。キリストの十字架は、その敵意となっている基準を葬りさる事で、平和を実現したと聖書に記されています。人は自分の正しさを主張しますが、神の前では義人はひとりもいません。全ての人が罪人なのです。しかし、キリストはその罪の責めを人間に負わせませんでした。その罪の代価を十字架によってご自身がお受けになり、すべての人が神の義を受けるようにされたのです。そこには、ユダヤ人や異邦人、奴隷や自由人といった違いはありません。キリストによって全ての人が義を受けるのです。この隔ての壁があなたの内で崩れる時、敵意は消失し、神が与える真の平和を体験する事ができるでしょう。
キリストが与える平和
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