行徳キリスト教会 Gyoutoku Christ Church

惜しみない献げ物

愛によって心が動かされる時、人は喜んで他者のためにつくしたいと願うでしょう。純粋な愛は見返りや報酬を望みません。また、計算して相手と接することをしません。相手よりも自分に価値を置く時には、それらの行為は無駄にしか見えないでしょう。しかし、自分よりも相手が大切な存在であるならば、自分の犠牲や無駄を惜しみなく注ぎだすものです。相手を尊く思っている人にとっては、無駄と思える事こそがその人に対しての価値になるからです。マリヤは非常に高価なナルドの香油を惜しむことなくイエス様に注ぎだした事が聖書に記されています。この行為は周りの人からみればもったいない行為でした。しかし、マリヤにとっては少しももったいないと思わなかったのです。それは、マリヤにとってキリストがその香油以上に尊いお方であったからです。そのささげものは主の御前に永遠に覚えられるささげものとなりました。あなたにとって神様というお方はこのように惜しみなくささげるのにふさわしいお方でしょうか?