行徳キリスト教会 Gyoutoku Christ Church

キリストの義を求め続ける

きよい心を持つためには、まず神のきよさに触れる必要があります。人は神のきよさに触れる時、自分の汚れを知ります。洋服が汚れてしまったら、その汚れた服を脱いで、新しい洋服に着替えたいと願うように、罪の意識が人の心に芽生える時、その人は必然的にその汚れからきよめられたいという欲求がおきます。しかし、人間の努力によってでは、この義の基準を完全に満たすことはできません。この義の基準を満たす事ができるのはキリストの義のみだからです。聖書は人間の義ではなく、キリストの義を求める事を教えています。義の飢え渇きを自分の努力によらず、キリストの義を信仰によって受け取る時、その義がその人の心の内に留まり続け、罪の咎や汚れから解放し、きよさが与えられるのです。これが恵みです。新品の洋服を汚したくないと思うように、神の恵みによって新たな心が与えられる時、その人はもはや自ら進んで汚れた生き方をしようとは思わなくなるのです。その恵みがその人の内で喜びとなるからです。