キリストは宣教の働きが忙しい中でも、祈りを絶やす事はありませんでした。聖書を見る時、キリストが朝早くから、一人寂しい場所で、父なる神に祈っておられた事が記されています。きっとキリストの力あることばと宣教の働きは、この父なる神との交わりの中で生まれてきたのでしょう。神の御子であるキリストが父の御心を行うために、祈る必要を覚えておられていたならば、どれだけ私達は主の御前に飢え渇いて祈る必要があるでしょうか。祈りは、私達の心を父なる神に向けさせます。祈りは自分の力ではなく、神の力によって生きる事を私達に教えます。祈りは私達のたましいを砕き、神への従順を生みだします。祈りを通して、信仰者は神と共に生きる事を学び、神と共に歩む事の喜びを体験します。呼吸をするように、絶えず祈りなさいと聖書は教えています。それは、私達が人間的な希望によって生きるのではなく、あらゆる逆境の時にも、神の力によって生かされている事を祈りによって知るためなのです。
絶えず祈りなさい
- キリストの義を求め続ける
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