罪をなぜ犯してはならないのか、その一つの理由は罪には様々な報いが付随するからだと言えるでしょう。神様は私達が祝福された人生を歩むために律法を備えられました。しかし、神の律法の基準を超えて罪を犯すならば、その罪の報いを受けなければならない事を聖書は私達に教えています。アダムとエバは罪を犯したゆえに、様々な報いを受け取った事が書かれています。産みの苦しみや男女の支配的関係、また労働の苦しみや、肉体の死などは罪の報いとして人間が受けた結果です。それらの刑罰は全人類に及びました。因果応報は仏教的思想だと思われがちですが、実は聖書の中にも見られるものです。しかし、逆説的に言えば犯した罪にそれらの刑罰がともなうゆえに、私達には神の恵みや憐みが必要なのです。私達が犯してしまった罪の代価は必ずその報いを受け取る必要があります。だれも、その罪の負債から免れる人はいません。しかし、その負債を私達の身代わりに背負ってくれる人がいるならば別です。それがキリストの十字架の贖いなのです。本来は私達が背負うべき罪の報いをキリストが身代わりに受けてくださったのです。ここに罪の呪いからの解放と救いがあるのです。
なぜ罪を犯してはならないか
- ペンテコステに注がれた聖霊
- あなたがたの塩気を保ちなさい