聖書を読む時、多くの方が聖書に書かれている奇跡に躓いて信仰を持つ事をためらってしまいます。処女降誕や、キリストの復活は、科学的に説明がつかないから間違っている。間違っている事を教えている聖書は信じる価値のないものだと結論づけてしまうからです。しかし、それは信仰の前提を取り違えてしまっている故に起こる躓きです。信仰は科学的に成り立つから信じるに値するものではなく、全知全能である神を信じる故に成り立つものです。信仰は科学を否定するものではありませんが、科学を証明するものでもありません。天地万物を造られた神は、無から有を生じさせ、いのちを与える事ができるお方です。このお方の存在を受け入れ、信じるならば、たとえそれが科学的に証明できない事であっても奇跡は躓きにはなりません。神にとって不可能な事は一つもないと信じる信仰が、奇跡の可能性を与えるからです。聖書はこれらの前提をもって書かれている書物であります。科学を前提に読むならば、それは証明できないかぎり、正しいと確信にはいたらないでしょう。しかし、全知全能の神が語られた書として聖書を信じ受け入れ読む時、そこに確かな救いの希望がもたらされるのです。
奇跡が存在する根拠
- 良い実を結ぶために
- 来るべきメシヤである御方