聖書は誰でも、ふたりの主人に仕えることはできませんと、神に仕える事と、この世の富みに仕える事は同時にはできない事を教えています。神に仕える事と、富に仕える事は似ているようで、非なるものです。この世の通貨制度というのは、信用によってなりたっています。信頼がなければ、お金はただの紙切れにしかすぎません。同じように、信仰も神への信頼によってなりたっています。神を信じると告白しても、もしその人の信仰が内実を伴うものでなければ、その信仰に価値を見出す事はできないでしょう。このように二つの相反する価値観を並行して保つ事はできないと聖書は教えているのです。神への信頼を吟味する上でもっとも良い方法は、神へのささげものです。なぜなら、神への信頼がなければ人は喜んでささげる事は困難だからです。イサクをささげたアブラハムのように、自分の全ての財産をささげた貧しき女性のように、神様は自分の所有するもの以上に神を信頼してささげるものを喜び豊かに祝福して下さる方なのです。
神が喜ばれるささげもの
- 一人のたましいが救われる喜び
- あなたを高価で尊いと言われるお方