私は洗礼を受けて14年になります。此処までどうにか教会生活が守られているのは奇跡だと思います。神様の恵みと言うほかにありません。なぜならば以前の私生活を見ればうなずけると思います。飲食店を営んでいましたので自分の思い通りに一日が回ってゆき、全てが自由、おまけに良く出来た妻、子宝も三人与えられ、お店も順調でなに一つ不満のない環境でした。その結果、土・日は競馬、定休日の(月)曜日はパチスロ、時には徹夜麻雀この繰り返しでした。時々家族と出かけたりはしていました。夏は、友達、従兄弟家族で毎年キャンプに行きました。15年間程続き子供達の楽しい思い出作りになったとおもいます。
しかし一方で妻はいつも寂しい思いをしていたのです。妻はいつも二人で一つのものを見ていたいと願っていたのです。そんな気持ちも分からず私は、好きなことを好きなだけする。全く持って呆れる人間でした。そんな価値のない人間を、わたしの目には、あなたは、高価で尊い。と言って下さりその証として十字架の上で私たちの身代わりとなって死んでくださったお方イエス様。このお方を救い主と信じるだけで、全ての人が罪、赦され神の子としてくださるのです。私は妻の通う教会のスイス人の宣教師夫妻を通して救われました。この宣教師夫妻の奥底に居るイエス・キリストをこの目でみたのです。神様を信じるきっかけは、人其々だと思います。
しかし救われる方法はただ一つ、イエス様を心にお迎えするだけです。そのイエス様が頭であり礎石である教会へ是非いらしてみては、いかがでしょうか。私の様な人間でも行けたのですから誰でもウェルカムです。
藪崎守彦兄