行徳キリスト教会 Gyoutoku Christ Church

私が教会に通うようになった理由

私は物心ついた頃から、祖母に育てられました。幼少期に両親に愛された記憶がありません。子供の時はその事が、良く分からなかったのですが、大人になってから、嫁姑問題、また、両親が不仲だった故だとわかりました。父は母から離れたいために、しばしば祖母を連れて長期の旅行にでかけたりしました。家に母と二人だけになると、母から言葉の暴力や、肉体的な暴力を受け、いつも私は脅えていました。そんな母にでも愛してもらいたくて、小学1年生の時に小遣いをはたいて、母の日にカーネーションを買いましたが、「そんなものはいらない、捨ててしまえ!」と罵倒され、今でもその事を思い出すと、悲しみと悔しさで涙があふれてきます。

そのような家庭環境でしたから、アルバイトが出来る年齢になると、ほとんど家にいることはなくなりました。早く家を出たいという一心で、結婚も急いで決めてしまいましたが、機能不全の家庭で育った私にとって、結婚は第二の苦しみの始まりでした。なんとかして、夫との関係を修復したいと思うのですが、うまくいかないのです。そうこうしている内に、夫の海外転勤が決まり、これを機に夫との関係をもう一度やり直していこうと期待をしましたが、夫との間に次々と問題が起こり、子供達を放棄して自分だけ日本に帰る事もできず、慣れていない海外での生活の中で逃げ場もなく絶望していた時に、日本人向けのコミュニティーペーパーにあった教会の案内がふと目に入ったのです。信じてはもらえないかもしれませんが、「教会に行きなさい」という声が、何度も私の心に響いてきたのです。その声に私の心と体は何の迷いもなく教会へと向かいました。絶望の中にいた私を教会の人は温かく迎えてくれました。そして、教会生活を続けているうちに、このような私をも神様が愛して下さっている事が分かり、まるで最初からそのように計画されていたかのように、素直な心で、イエス・キリストを私の心に迎え入れ洗礼を受けました。

自分の罪深さを知り、神様の愛に触れられた時、私の心は次第に変えられていきました。以前は憎しみの心しかなかったのに、両親の事を祈る事ができるようになれました。すると、両親の言動も変化してきたのです。今では、母から私を傷つける言葉はなくなりました。私も母をいたわる心が与えられました。また、あれほど不仲だった両親は今ではとても仲良く暮らしています。夫との関係はまだまだですが、今は離れて暮らす夫の事も私の祈りの中にあります。このように弱い自分ですが、これからも神様にゆだねて信仰の歩みをしていきたいと願っています。

 

 

 

N姉