聖霊に満たされて歩むためには、山を動かすような強い信仰や、すぐれた賜物や能力が必要とされるのではなく、神の御前に悔いた砕かれた魂、また神の義に飢え渇く心が必要とされます。それは、自分の弱さや足りなさ、自分の不完全さを認識し、神に助けと力を求める事によって可能とされます。弱いから強い、貧しいから富んでいるという聖書のパラドックスはこのような私達の弱さの内にこそ主の恵みが豊かにあらわれる故に確信する事ができるのです。パウロは「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」と述べています。私達がこの世の物で満足してしまっている時、霊的に飢え渇く事を忘れてしまいます。しかし、試練や困難に襲われる時、霊的な目が開かれて、その弱さの中で神を求める者へと変えられていきます。ですから試練は時にして私達に祝福をもたらします。その弱さの中にある主の恵みに気付く時、私達は聖霊に満たされる原則を学び主を呼び求める者となるからです。